般若心経と量子物理の世界(4)〜投げかけた問いの答えとその後
量子の世界で言えば、般若心経でいう、
この世界のもの全ては違いがない(色不異空)
目に見えるもの(色(しき))は実体はなく(空)
五蘊(色受想行識)は全て空が理解できます。
本質は全て違いがないのであれば、
「これは私だ」「これは◯◯だ」と分離すること、
私が、私が、とそこにしがみつくことが、苦を生むし、私、やモノに執着することは、意味のないこと(だって、そもそもないのだから)。
そしてそれは、生も死もない。
これが、瑞巌寺の三十三観音の前で投げた問いに対する、私が受け取った答えです。
科学(生物学、化学、物理学、数学)と哲学のカテゴリーなどなかったように、これは仏教だとかそんなことではなく、
「かがみ(鏡)からが(我)を取ったら、かみ(神、上)になる」ように、
『A Course In Miracles』
でいわれることもすべて、同じこと。
私は私、という概念から、一度解き放たれる必要があったのだと思います。
それを知るために、私はすべてを学びたかった。
我をなくす。
自我(エゴ)をなくす。
そしてその上で、この地球でどう生きるのか?
物質の、行動の世界でどう生きるのか?
第2ステージが始まります。
実はこの時はまだ、覚醒とは感じていませんでした。
その実感を持ったのは、もう少しあと。
分離した、人間関係と科学のお話です。
うずめ